ハリーポッターの感想。
第一巻日本語版発売から、日本では旋風を巻き起こしたこの作品。
自分が初めてこの話題に触れたのは、2巻か3巻の日本語版の発売に関する報道をテレビで見たことと、自分の教え子がハリーポッターが面白いといっていたことだった。
当時、それでも読もうという気にはならなかった。
当時の自分の流行としてできるだけ日本人が書いた作品を読もうと思っていたからである。
いや、この書き方だと人種差別になるな…言い直すならば、元々が日本語で書かれた作品を読もうと思っていたからである。
昔から西洋の言葉で書かれた作品の翻訳小説はかなり好きでありました。
一番最初に本格的に読んだ小説は「魔法の国ザンス」シリーズで、コレを軸に当時発売していたハヤカワSFの小説は結構読んだものです。
しかし、ある時からその文体から読み取れる言語、即ち、主に英語を日本語に訳した際に生じる独特の言い回し、に気がつき始め、何となくコレではいけないと思い、日本の小説家の作品を読むようになった感じです。
結果論としては、あまり意味がなかったかなとも思いました。
主に読んだのが田中芳樹作品なので、美しい日本語という意味では萩原規子作品の作品には勝てない感じですよね。
まあ、そんなこんなで映画が話題になり始めた際に、123を同時に買って読みました。
これも後日談となりますが、結論だけを言えば1巻だけを買っていたら続編は買わなかったでしょう。
1巻の最初の30ページほどは、ダドリー一家の話に占められており、半ば教育関連に足を突っ込んでいる自分が読んでしまうと、「このような悪環境でハリーポッターがまともに育つわけはないだろう。」、という統計的に正しそうな意見が頭をかすめてどうにもいけ好かない内容でした。
3つのグループに分かれて、各グループ同士が争う、失敗や罰は点数制による連帯責任、ひいきは当然というきわめて前近代的な学校制度云々にはうんざりもしました。
クィディッチとかね……、将棋を愛好している人間として考えると後付で作ったゲームってのがまた著しくゲーム性を欠く可能性を否定できず、限りなく単純か、さもなければハメが存在するか…と、新規に作られる完全情報ゲームに否定的な自分が目覚めてしまったりしていやでした。
よく考えれば魔法使いがやる競技が必要と言うことで現れたものだと納得できたのですが、ま自分が浅はかだったわけだ。
全体的にクィレルの扱いは見事(一度読み直すとよくわかる)だと思いましたが、それ以外の部分でマイナス点が大きかったので3巻まとめて買うという暴挙を働かなかったら2巻を読むことはなかったでしょう。
2巻、コレも正直微妙な内容で、後々までなんでロックハートをダンブルドアは選んだのだろうか、と疑問を抱かせる回でした。
やはりここまでしかかっていなかったら、次の巻を買うことはなかったでしょう。
3巻、ここへ来て評価が一変します。
シリウスの存在、ネズミなど1巻からの伏線がきれいに決まっており、この作品が決して凡作ではないことを思わせました。この巻を読んで「この先どうするんだろう」と初めて思いましたね。
ヴォルデモートとの対決をすることは初めからわかっていましたが、ここへ来て近しい人物が出てきた感じがありました。
4巻、5巻はハリーポッターの引き続きの英雄話と言うところでしょうか。
突然注目を浴びた人物は死にやすいという連続作品ものの不文律をきれいに守っていて、でも2冊分冊を読まされた割には楽しめていませんでした。
ただまさかジェームズポッターの話をああいう風に挟んでくるとは思いませんでした。
6巻、実は1巻からスネイプには好感を抱いていたのですが、これは教育に関係する者だからでしょうかね。
スネイプのハリーに対する扱いは大概はまともであるし、ハリーの逆恨みの方が変な気がしましたから。
そしてヴォルデモートの話。
ダンブルドアが詳しく知っていることは別に良いのですが、ヴォルデモートがなぜ不死身なのかという根本的な謎解析をハリーに見せちゃって良いのかという疑問が…
そして7巻。
うーん、すげえ。
いや、ハリー達の逃避行がどうのということはないのだが、ダンブルドアに対する記述、コレは正直すごいと思った。
ヴォルデモートとの戦いは意外とあっさりしていたが、ダンブルドアの戦略は見事と言うほか無かった。
老練、とはマジで褒められることじゃないな。
ってことで、6巻読破までは確かに良くできているが、人気が出る程か?と思っていたが7巻を読んで全ての仕掛けを明かされて初めて名作だったんだと思った。
うん、7巻まで全て読む価値のある作品だと思う。
っと理由をもっと詳しく書こうと思ったが時間が無くなった。
また今度。