ハリーポッターの感想

 昨日一生懸命書いていたら、手違いで全部消えやがったぜ。


 7巻まで読んでの話としてすごい作品であると断言することについて。


 途中のジェームズの話、最終巻のダンブルドアの話など、いわゆる主人公ポッターの身近な人間に関する描写がとてもリアルであることに驚嘆した。


 ジェームズはハリーの父親で、ダンブルドア曰くすばらしい生徒なのであるが、若い頃に出てくる逸話に関してスネイプにやった所行などは決して優等生たり得ない。
 もちろん、その一面だけで判断してはいけないのだけれども、その一面を小説内に描写することがまずすごい。
 友人のシリウスも作中最も人気のあるキャラではないかと思うんだが、最終巻で少し株が落ちる。


 ダンブルドアに至っては、いわゆる老練さの根源をコンコンと描写しているのですが、若い頃のダンブルドアの過ちは決して許される類のものではなくまたその弟が語った「ダンブルドアに関わると言うことは不幸になる」というとおり彼の戦略の「仕掛け」が恐ろしく非情である。


 ハリーを温かい目で見守っていたダンブルドアと、同時にスネイプと相談するダンブルドア
 なぜ、ハリーに甘かったのか、スネイプを信用するのか。
 全てはヴォルデモートを倒すための非情なる選択のためだったことに関しては仕方がなかったとも言えるが、最終的にスネイプに大きな苦しみを与える結果になることを告げず約束をさせ、ハリーには甘く当たっていながらも「最後には犠牲となって死んでいける人間かどうか」を吟味し、時にはそのように考えるようにし向けていたのかもしれない。
 なぜハリーにはヴォルデモートの不死身の謎を見せたのか。
 一つには魔法に関してハリーが決して優秀な生徒ではなかったことがわかっているからだろう。
 つまりその謎を教えても使いこなせないことを予見していたわけだ。
 更に、ヴォルデモートの決戦の際にはハリーが死ぬことが前提となっている、もちろんその後生き残ることまで計算に入っていたと考えたいところだが果たしてそれはどうだったのか今ではわからない。


 ダンブルドアは指輪をはめる以前にヴォルデモートの死以前に自分が死ぬことを当初は計算に入れていなかっただろう。
 ハリーと相討ちになった後、ダンブルドアにはとどめを刺す算段があったと考えるのが妥当。
 ダンブルドアの戦略は非常に老練で長期にわたるものであり、ヴォルデモートの勝利の余地はほとんど無かっただろうとさえ思える一方、その彼特有の秘密主義性は味方のキャラクターとして考えると最悪の部類であるといえるだろう。


 っと、ダンブルドア批判をしてしまったが、ともかく、何がすごいと思うかを改めて書けば、結局、この登場人物達は自分を正当化し得ない傷を持った人たちであることをしっかりと記述しきったことである。


 「人間は完全じゃない」
 この言葉は日本でもよく目にするが、その意味合いは特に日本の諸作品に於いては「人間は全知全能ではない」という意味で使ってはいないだろうか?


 他方ハリーポッターの中では、より詳しく書けば
「人間はいつも完璧ではなく間違いは犯すものだ」
ということを如実に著してくれている。
 かつてはフォローできない犯罪者であってもいつかは立ち直る、後悔する日が来ることを示している。
 スネイプのようなかつて悪い軍団に入っていた、という記述は日本の作品でもよくある。
 しかし、ジェームズのようないわゆるいじめっ子の様な行動、若気の至りに対して正面から記述する小説ってことラノベでは有り得ただろうか?


 自分が好きな作品に「銀河英雄伝説」がある、が同時にものすごく嫌いな作品でもある。
 理由はどのヒーローとなるべき登場人物も過去に悔いうる内容はミスしかないことにある。
 主体的に悪いことをやったシーンと言えばヴェスターラントの虐殺だが、これとてもアニメ化に際してオーベルシュタインの独断という形にして、ローエングラムの責任こそあれミスをしたことにしたフォローの入れ方をしている。
 つまり、アニメでも行われてしまったのである「英雄の美化」を。


 最近の作品でならガンダム00のセイエイの虐殺行為も、いわゆる洗脳による本人の罪の意識のなさから来るというフォローの入れ方である。
 主体的に虐殺に加わった訳ではないというフォローが入っている。
 コードギアスの話も出したかったが、認識が甘かったので削除。
 主人公周辺の犯した過ちの多くが衝動、不可抗力を言いわけ弐していることは多い。負い目なく本人が主体的に悪に参加していたという過去を持つキャラクターはなかなか少ないのが実情だろう。


 かつては持っていた野望のために主体的に行ってしまった罪、一生償わなければならない、真相を話してしまえば誰もが自分を軽蔑するかもしれない罪、罪悪感に関する描写なんていうのはなかなか難しい。
 (とおもったら、「ひぐらしく頃に」の主人公あたりはなかんかでしたね。)


 そう思えばダンブルドアのヴォルデモートに対する扱いも納得できる部分がある。
 ヴォルデモートが元々危険な人物であることはわかっていたのに見守ったのは、「自分がそうであったように」ヴォルデモートも一度、二度は過ちを犯すだろうがいつかは改心してくれるだろうという慈悲があったのではないだろうか。
 しかし、当初の予定とは大きく異なり、ヴォルデモートは不死のために人間の心すら失ってしまった。
 つまり、後悔することはもうないという怪物になりきってしまったから倒すことにしたのではないか。


 日本では凶悪犯罪があったときに、いや自分でもよく思うといえるが、「死刑にすべきだ」と平気で考えてしまう。
 これは「犯罪者は悪いことをやったのだから相応の罰を受けるべきである」という認識から来るものである。
 かつての未成年の凶悪犯罪には目を覆わざるを得ないものもある故に、「罰の少なさ」に関しての不満が掲示板各所で跳梁跋扈するわけである。


 他方で、かつて主体的に悪いことに関わっていて大人になった者達の中には、「人には言えないが非常に後悔している」、反省をしている人がたくさんいるのではないだろうか。


 かつて、梅図かずおの作品にタイトルこそ忘れたが強烈に印象に残る作品があった。
 主人公の父親は普段立派な人物だが、かつては太平洋戦争に兵士として戦っており、孤島で飢えとの戦いの末悶着があったとはいえ戦友の亡骸を食べて生き残った。
 その過去を持つことを主人公は知り、そのような父親を軽蔑し恐れる話。
 人を殺してはいけない、人の死体を食べてはいけない、そんなこと誰でもわかるが生きるためには仕方がなかった。
 人の肉を食べて生き残るなら死んだ方がマシだ。
 でも生き残ってその業を背負って生きていくひとだっているんだ。


 現在でも人を殺すような犯罪者、そしてその罪により刑務所に入り出てきた人というのはそれこそいくらでもいるだろう。
 その過去の話を自慢話にするような鬼畜に用はない。
 それを後悔し、人に明かすことも出来ず苦しむ人はたくさんいるはずだ。
 某・東君なんていうのはその最たる人物だろう。
 その自分が犯した罪の重大性、若気の至りでは片づかない凶悪性、しかし彼は現実社会に生きていかなければならない。
 もちろん、彼がその昔の犯罪を自慢するようなキチガイに育っているならフォローの余地はないのだが、そうではないと自分は切に願う。


 その行為が良かったはずなどない。一時とはいえそのときには狂っていて欲しかったとさえ思う自分の行動に後悔する。
 「僕の地球を守って」の紫苑にした秋海棠の仕打ちのような、いつまでも悔やむその行動。


 それに正面から立ち向かって、このハリーポッターでは「その後悔を失わず、真っ当に生きていけ」と強く語りかけるような作品に思えた。


 少年達を相手にする商売をする自分にとって、油断していたのもあるがこれほど驚いた作品は無かったかもしれない。


 つくづく思うが、1巻、2巻あたりを読んで名作だと判断した人たちってのは何を持って?と思う次第になる。
 この最後の顛末まで予見していたというなら脱帽しよう。