玻南ちゃんの「玻」の利用最高裁が棄却。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/100408/trl1004081933006-n1.htm
なぜそんなにこだわるのか、ともいえるし、子どもの名前だからこだわるにきまっているともいえる。
そもそもなぜ裁判になりうるのかといえば、実は人名漢字の制定にはその裁判が起こされたことに大きく関係があるのだし、別に珍しいことではない。
昭和23年、それまで多量の漢字を使っていた日本だったが、様々な理由から使う漢字を「当用漢字」だけに制限する内閣の施行があった。一つには漢語の奨励が軍国主義の象徴のようにも扱われたことがあるらしい。
この施行によって、人名の漢字も当用漢字のみに制限され、当時の人々の名前に使われていた漢字の多くが人名には使用不可能となった。
昭和23年、娘の名前に当用漢字以外の漢字を使うことに関して裁判が起こされる。
昭和26年棄却されるも、昭和25年には当用漢字以外の人名漢字リストができて、当用漢字以外の漢字を名前に利用する許可が出された。
それ以後も、人名漢字は増えていきます。2004年には「糞」とか「姦」など、なんだかよく分からないが人名漢字に採用されていたあまり意味の良くない漢字が削除されたりもしましたが、ともかく右肩上がりに増えてます。
ここ最近漢字検定の不祥事があったからでしょうか、漢字になぜ制限が加えられたのかなんて話が話題に登ったりもしてますが戦前戦中戦後の流れでは、漢字をいずれはなくす方向へと進んでいたのだそうで。
効率が悪い、軍国主義、アルファベットに劣る…
「効率化!」というのは、マジカルワードの一つで、簡単に「いい方向」と信じがちですが、人間の成長を考えた時にこの効率化ってのは必ずしもいい影響を与えるわけではないわけです。
効率化をするといいものって言うのは、時間がかからずに済むといいもののことです。
でもね勉強に関しては個性もあるし、効率化を図った方がいいとは一概には言えないんだわ。
ものすごくドブ臭い、一見非効率的な昔ながらの写経が一番速かったりすることもある。だからほんと人間の頭の中への影響に関してはどれが効率的なのかはわからない。
そりゃまあ漢字を知ってれば賢いって価値観もどうかって話ですが、このあたりの関係は突き詰めるとなかなか難しいので今回はさらっと。
面白いところなんだけどね。
で、当用漢字を作った当初の思想はそれったんだけど、当初からすでに名前に使っていた漢字は山ほどあるわけで、その取り決め以降は使えなくなるってのはいろいろ不都合が生じてしまった。
たとえば現在御存命の方々の名前にもたくさん人名漢字以外の漢字が使われています。
すぐに調べて出てきたものだけを例にあげますが、羽田孜元総理の「孜」はつい最近までは人名漢字になかったそうです。
他にも名前をつけるときに親・知り合い・偉人の名前の一字を受け継ぐ、というのは日本の伝統的にやっていたことですがそれが事実上不可能な名前がでてきたとか…。
まともかくそれまで無制限だったものを、ものすごく圧縮した歪ってのはけっこうでかかったんですね。
で、訴訟を起こした人が出た。
これねーNHKの番組で見たんですけど、当時の風潮から言って大変だったと思いますよ。「お上に楯突く」わけですから。
一方でこの方(その名前で争った子ども当人、まだもちろんご存命)の話で、日本中から是非について手紙が来たんだとか。今でも残してらっしゃいました。
インターネットがあった時代だったら…、いやなくたってこのぐらいの反響なんだから。
ま、そんなこんなで人名漢字は増えていきます。
ちょっと前ですが「矜持」という名前がつけられなかったことで損害賠償の訴訟をした方もいましたが(もちろん金の問題ではなかったと思われます)ま、子どもの名前についての制限ってのは難しいところだとは思います。
ちらっと読んだのですが、中国では新しい漢字を作ってつけることもできたのだとか。それで新しい漢字コードを作ることになるとか凄くね?
一応ですが、日本で、人名漢字にない漢字を子どもにつけようとする場合は訴訟するしかない、ってのはまあある意味当然ですからそれが棄却されることもあるって話だと思います。
日本で新しい漢字を作って名前に使おうとする訴訟とか。
きっと非難轟々だけど漢字を登録してしまって新しく作ってはいけないってルールは、どうなのかなぁ。
漢字の大切な部分が失われている気がしないでもない。