足利事件、菅家氏

 菅家って菅原道真かよ、と思ったが、この話、なかなかに深刻な内容を含んでいる。

  • 科学捜査の信用性
  • 間違えられた容疑者への補償


 科学捜査の信用性について、日経サイエンスの最新号のコラムで「新たなDNA鑑定で、白判定、違うと出たのだから即刻釈放すべき」と書かれており、今回それがなされた結果だが、これは科学捜査のみが犯罪を示す唯一の証拠となりうる、という大きな誤解を起こしていると自分は思っている。


 犯罪を犯したかどうかは、当然証拠を第一として語るべきで、その根幹をなしたのが、この当時容疑者に対するDNA鑑定で、今回釈放に至った経緯を見ると、ほとんどこのDNA鑑定と警察に長い時間拘留された末の自白の2つしか証拠がないにもかかわらず、重い懲役刑まで科せられるに至るという、その恐るべき展開である。
 800人に一人程度(300人に一人だと思ってたわ)の精度で最重要証拠、しかも逮捕状の根拠にも使ったらしいということで、当時の杜撰さを語らずにもいられないのだが、その点はまず置いておくことにしよう。
 とにかくこの科学捜査という奴の扱いについてだ。


 残っていた体液か何か知らないけど、それと比較して今回のような新しいDNA鑑定で一致が見られた場合でも、即、犯人扱いすることは間違っていると自分は思っている。
 そこには動機があり、アリバイがあり、DNA鑑定以外の動かしがたい物的証拠、これらの総合で犯人を扱うべきであり、
「はい、DNA鑑定であなたと同じって出ました!!!アウトー!!」
 ってなデジタルな判定もなかなかに速やかにいきそうで魅力的ではあるが、そこにはひどい落とし穴があるに決まっている。


 「ほら、誰かが自分の体液を奪って被害者を殺してからかけておくとか・・・」
 なんていうタラレバの効いたSFを語るつもりはもちろんない。
 簡単な話で、DNA鑑定だけで判断するという片寄った調査の仕方をすると、悪用されかねない他、ミスをしかねないことが非常に重要である。


 今回関係者の話で、「採取した体液は捜査関係者かもしれない」とか無茶な内容をブログに書き込んだかで炎上をした例があるみたいだけど、そう、そういう捜査の初動ミスから、誤認することはあり得ない話ではない。
 サンプルをとるところ、輸送するところ、鑑定するところ、そして悪意が存在しうるところ、から考えて如何に確率の高いDNA鑑定も決定的な証拠としての採用はありうるかもしれないが、他に何もないならばグレーゾーンから動かしてはいけない、ということ。
 唯一の証拠に頼ることを否定しているのであって、やはり多面的な証拠の採用をもって結論として欲しいってことです。


 他方自白は・・・日本の警察は自由に拘束できて尋問できるからねぇ。証拠としての採用はそこから新証拠がでるなどじゃないと(それさえも偽造しうることもふまえておかねば成るまいが)だめなんじゃないかと。
 状況証拠を積み重ねた毒入りカレー事件の方がまだ信用できたり。


 故に日経サイエンスのコラムを書いた人の「科学鑑定で白と出たんだから、すぐ釈放すべき」というのは反対であったのだが、それでもすぐ釈放されたのを見ると、他の証拠には自白ぐらいしかなかったって裏付けにもなっていて、これは話にならないとつくづく思った。
 無論、その判定に踏み切った検察側には恥ではあるが敬意を表する。メンツ、体面よりも完全に人権を侵されている無罪の可能性が高い被疑者を第一とは立派だと思う。


 社会保障の話については、なんと今回のように検察側から釈放を指せる状況が初めてだったらしい。
 金沢だか富山の痴漢の冤罪は、裁判後だったということか。
 そういう意味では国家賠償の行方も、他人事故に楽しみではある。


 おっと、もしかしたら容疑者に扱われた方は本当にこれからが大変なのでは?と思う。
 まず第一は、長きにわたって刑務所にいた状況からのリハビリだと思う。
 10年以上も収監されていると言うことは浦島太郎だし、人間不信にもなろう。故・三浦和義の万引きなどはその弊害だったんじゃないかと個人的には信じているが(訴訟の餌にしたとは考えたくないね)、とにかく社会的復帰を第一にして欲しい。
 人の噂も75日、マスコミが好意的に扱っているうちは花だが、それが崩れたときの怖さも知っておくと良いかもしれない。
 まずは平穏な日常を暮らして欲しいと切に願います。