http://www.asahi.com/national/update/0308/TKY200903080142.html

 文部科学省は9日付で13年度に本格実施される高校の新学習指導要領を告示した。10年ぶりの改訂で、英語の授業は英語で行うことを基本とし、教える単語数も4割増とする▽義務教育の内容も必要に応じて教える▽国・数・英で「共通科目」を新設する▽週30コマ以上を教えてもよい――といった内容を明記したことが特徴だ。昨年12月に改訂案を公表していた。

 文科省は同日、特別支援学校の新指導要領と教育要領も告示した。全員分の個別の指導計画の作成を義務づけており、幼稚部は09年度、小学部は11年度、中学部は12年度、高等部は13年度から本格実施される。一部は前倒しで今春から実施される。

 改訂案公表後、文科省が一般から意見を募ったところ約3600件の意見が寄せられたが、文科省が内容を大きく変更した部分はなかった。(上野創)

ニュー即でのスレ
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/news/1236549853/

 久々に日記を書こうと思った理由はこの内容を目にしたからで・・・


 ゆとり教育について、3年も前に自分も批判したことを日記に書いたことがありますが、ゆとり教育の本当の失敗は、現場の教師の練習なしに理想論を突っ走ったことが大きな原因だと思っています。
 それは、ゆとり教育の時間を減らす話に関しての部分ではなく、やれ、総合の時間だとかあの類のいい言葉を使えば教師としての最も力量が問われる、悪く言えば準備不足だとどうしようもない時間と成りうる時間を増やしたことについてです。


 日本は公立の学校においてもけっこう自由な教育が行われています。
 悪い面だけを言えば、やれ従軍慰安婦問題だけで一ヶ月使う教師とかもありだったり、知る限りヤヴァそうだった教師としては、英語の教師で中学1年のときから高校の内容かとも思える文章をがむしゃらに教える教師なんかがいたようですが、決して悪い面だけであるとは思っていません。


 ところが、上からこうしろ、と命令される内容がある場合、現場が混乱する度合いが大きくなるのです。
 こういっちゃあなんだけど、子供の「〜を育んで」なんてお題目は誰でも言えるし、耳障りがいいのですが、その具体的なやり方、授業の進め方は結局現場で考えるという、非常に場当たり的なやり方しかできません。


 今回の「英語の授業は英語で」の話も、耳障りがいいのかもしれませんが、まあ現場の英語教師に英語で何もかもやらせるとか意味不明です。
英語に対する説明は、やはり日本語が必要になります。
 どこまでを英語にするのか、具体的にゴルフコンペみたいに英語を使ったら罰金形式のごとく全ての受け答えを英語にする(先生側だけ)とかにして意味があるのかって話になっているわけです。


 加えて、日本人の語学勉強の最も落とし穴たる落とし穴ですが、ネイティブ講師、これがまた、どこの馬の骨かわからないような、アメリカから来たとしてまともな教育を受けてるの?ッて奴らを雇っているという事実に気がつかないとまずいけません。
 女の子引っ掛けて「セックスしようぜ」をどううまく言うかなんていう学習とは根本的に違うわけです。
 もちろん学歴だけが問題なのではありません。
 根本的にネイティブを尊重して日本の英語教師を卑下する論調がもう非常に問題だったりします。
 英語を学ぶ上で、尊ばれている人種ってのがあってインド人の英語講師ってのは他の国に比べて重要だったりします。
 それはそれこそ「インド人を右に」おいてのマンツーマン授業なんかを実践しているところもあるようですが、それはインドの教育法が優れているとか何とかだそうです。
 よく考えてみればわかりますが、日本人のチャライ奴に日本語聞いて日本語が学べると思いますか。
 そもそも、外人に日本語を教えることがお前にできるか!と自分に聞いてみればわかることでして、ネイティブアメリカンのメリットは発音以外に何もなかったりするのです。


 ま、そりゃ講師に質にもよるんでしょうが、何も考えずに「英語の授業は英語で」→「面倒だからネイティブ確保しようぜ」のながれはやめてほしいということで。
 日本人はassassasinということを知らしめればなんとかなるのだろうか?いや、もっとやばいか。
http://outpostnine.com/editorials/teacher1.html