日経サイエンス4月号

 日経サイエンスってのは・・・、あれ?前に説明したことがあるかな、あるかもしれないけど、まあ枕詞みたいなものだから書く・言う必要があると思いますが、元々は「Scientific American」というアメリカの科学雑誌の記事で大半がその翻訳という、日本で売られている雑誌の中でも結構変わった形式の科学雑誌です。
 他には「National Geographic」→日経ナショナルジオグラフィックぐらいしか知らん。
 日経サイエンスだけど「Science」(科学系論文雑誌)とは関係ないとか、動脈血だけど肺動脈は流れないんだぜ、みたいなややこしさってのは日本人は大好きなんでしょうかとか思いますが、雑誌自体非常に面白い内容のものです。


 日本で売っている科学雑誌として、といっても商業的に売っている代物の中でという限定が必要かもしれません。専門誌っていろいろあるので。
 その商業的に一般向けに売っている科学雑誌として牽引しているなかでは、「Newton」と双璧をなしているといえます。(最近ではサイエンスウェブなんかもあったと思うんだが・・・)
 Newtonの方がグラフィック主体で興味本位から内容は素人でも限りなくわかるように、字は大きく、数式導入はせず、日本語的に平易な文章で書かれていますね。
 時々の質疑応答では専門家がフルに答えていたりもしましたが、基本的には素人向けの色合いが強くって「読み物」としてはちょっと、と思ったりしています。
 絵・写真がきれいなのでその点はとにかくすばらしいですけど、内容の深さがあまりないのが気になるといいますか。


 他方日経サイエンスは、アメリカンなグラフィック、その内容を説明するためのチョット捻った絵の数々や、強烈な皮肉を含んだ絵など、アメリカ風の風刺の利いた絵がある他は徹底的にその著者の書いた小論文・その翻訳という読み物になっています。(各1、2本は日本の研究者の小論文もある。)


 しかし、小論文、という言い方は非常に小馬鹿にしている響きがしていやだな・・・、読み物でも普通のライターが書いた記事とは一線を画していると思うのでこういう言葉を使うしかないんだけれども・・・一応最大限の敬意を表しての名詞・小論文だと思って受け取ってもらいたい。
 決して受験生が入試のために書く糞文章なんかとは同じに扱ってほしくない。


 っと、以上が基本知識用の枕詞ね。
 Newtonに関しては別の機会があったら何か書くとして、今回は日経サイエンス2009年4月号を読んでいて面白いと思ったことです。


 上記の枕が非常に重要なのですが、この雑誌の記事のほとんどは、アメリカ人向けのアメリカンな内容になっています。
 ゆえに、「電卓」の話が出てきても日本人の話なんかこれっぽっちも出てこなかったり、科学の歴史を扱う際にアメリカ中心にかかれるのも仕方のないことなので、まあそれはわかってれば問題ない内容ですが、今回の「種の起源」に関するテーマに対する寄稿された小論文はアメリカならではの問題を内包しているのだと思って非常に興味深く読ませていただきました。


 「種の起源」即ちダーウィンの進化論の決定版が世に出されてちょうど150年目の企画ということで始まる今回の記事ですが、その内容の半分近くがなんと、非科学的な創造論、現在のインテリジェント・デザインに対する科学の側からの攻撃内容でした。
 インテリジェント・デザインなんて「へー」ってな程度でながしまくってたんだけど、この期に及んでこの記事を読んだらなかなかに厄介な教育現場になっているようでアメリカも大変なんだなと思うことしきりでした。
 ま、日本で言ったら「血液型性格判断」とか「マイナスイオン」とか、、教育現場だと「水の結晶」の疑似科学に対する科学者側からのサインとも言うべきか。


 「創造論」というのは、原理主義的とか極右的な表現のほうを借りれば、「万物は神が創りしもの」というキリスト教的に常識的な考え方のこと。
 それが、かつてはわからなかったから誰もが妄信したわけだが、確かに「種の起源」で「進化論」「自然選択説」が語られるに至ってキリスト教と「またもや」衝突するにいたり、科学が勝つか、教義が勝つかと争った結果、証拠の多い科学的な説明が勝つに至って、その「創造論」も様変わりしていくことになったようです。
 思えば「種の起源」が1859年発行か・・・物理だと1905が「奇跡の年」で新しい物理学が登場したことを考えれば生物学ってのはつくづくその発展が遅かったことも確認できる。
そういえば、http://www.narinari.com/Nd/2006066138.htmlと2006年にダーウィンが持ち帰った亀が死んだニュースは、「あれ?ダーウィンってもっと昔の人だと思ってた」的なニュースの筆頭でしたな。


 で、インテリジェント・デザインですよ。
 ジョージ・ブッシュ大統領が賛同したと報道された記憶もありますが、キリスト教原理主義的(別にキリスト教が悪いわけじゃないと思うので敢えて原理主義的という言葉を使ったほうがいいのではと思ったり)に考えた場合にやはり「進化論」の存在が「創造論」の否定→キリスト教の教義の否定へとつながるようで、進化論も「100%正しくない」から創造論も扱おう的な教育現場への圧力となっているようです。


 例の「99%は〜」なる糞本のごとく、一部否定をすると全部否定できるようなすばらしい考え方を利用することになるのでしょうが、まー、確かに教育現場で無茶なことを教えるという自体はやっかいだわな。
 「99%は〜」を糞本と断じる理由は簡単で、お前批判的思考もできなかったのかよ、って奴が、「事実」であると思っていたことを「事実」じゃないことを知ってファビョッた内容であることもさながら、かつてトンデモと思われていた説が科学的に正しいと認知されたことをして科学的な説と非科学的な説を同列に扱おうとするとか、超短絡思考がいけ好かないわけですが、何よりも現在の科学とか技術の蓄積をまったく無視してしまえという非現実的で、非建設的な思想が泣きそうな代物だったことです。
 基本、新書ってのは啓蒙的な意味合いが必要だと思うのですが、この本の啓蒙する思想が「批判的思考をするべき」という内容以外の部分がなく、「信じるな」しかないところで泣きが入りました。


 他方、インテリジェント・デザインは控えめに言えば、「進化論その他の科学的見地では推し量れない、説明されえない部分をあけすけに言ってしまえば「神」で説明しようって程度」、と書いてしまうとたいしたことはなさそうです。しかし、創造論と進化論の100年にわたる戦いのいまだ続いている歴史であるという認識を目にして、その深刻さがやっとわかるように成りました。


 そうだよなー、日本じゃ「進化論が発表された」って歴史的な事実は、生物学の科学としての発展の一部としてしか説明されなくて十分だけど、キリスト教世界=世界全体的(イスラム世界以外)に見れば、宗教教義自体を否定しかねないネタなので大問題だったんだなと改めて認識。
 ついでにwikipediaの「種の起源」(日本語版)と「On the Origin of Species」(英語版)の編集回数の違いなんかもそのあたりに起因するんだろうなと。
 あ、日本はワンピースの登場人物とか笑っていいとものページの更新回数が一番多い国民性(言語性?)なのであれっちゃあアレなんですが。
 茂木健一郎さんの対談での「1895年には日本語訳が出ていた」「『種の起源』なんて面白くない本なんですよ」あたりは感心し、噴出したりもしましたがこの「面白い」ってinterrestingじゃなくてexitingの方なんだろうなと思うと「ああ」と思うところもあったり。