上記の記事の補足

チャウシェスクの子どもの話
 この言葉をたとえに使ってわかりにくかったかなと思い、ちょっと検索をかけて説明しようかなと思いましたら、その意味する意味が、一般のものと違うことに気が付きましたorz
 即ち、まあ知っている人に説明するのはアレですが、チャウシェスクの子ども達と言った場合、「親との生活から見捨てられて成長した」という部分よりも「ストリートチルドレン」という意味合いが強いんですね・・・


 確かにチャウシェスクによる人口を増やす政策により子どもを産むことが奨励されました。ただでさえ貧困な家庭に多くの子どもをもうける。政権当時は中絶禁止と4人以上子どもを持つ家庭に補助金がでましたが、政権崩壊後ではその生活は成り立たない→捨て子、という図式でストリートチルドレンがあふれ出し、不潔な下水道で身を寄せ合って生きて、そのまま死ぬのは当然として「売春」や「臓器を売る」子どもが出ている・・・という話なのですが・・・


 自分が例として扱った部分は、「親との生活から見捨てられて成長した」というところ。
 このストリートチルドレン達を助けよう、ということで幼い子達を裕福な家庭に引き取られたりもしたようなのですが、その子を育てる上でそこに生活していた子達に奇妙な共通点があったそうなのです
 即ち、無気力無表情無感動はもとより、理解障害。
 捨てられた子の中で、当然引き取られたのは言い方は悪いですが修正不可能なゆがんだ子ではなく、まだ年端もいかないいわゆるまだ何も出来ない子達でした。保育園に入る年齢にも満たないような子が、ストリートチルドレンとして暗い下水道やら、汚い廃墟などで子ども達が身を寄せ合って生活していたようなのですが、そこに数ヶ月生活していた子を改めて引き取って愛情豊かに育てていった結果、数年後の成長した姿が、それでした。


 非常におとなしい子なのですが、学習能力が上がらない。
 非常におとなしい子で、積極的になにもやらない。
 非常におとなしい子で、喜んだり悲しんだりする仕草が少ない。


 脳を調べた結果、黒い部分が多い・・・即ち脳の働いている部分がすごく少なかったのだそうです・・・(詳細は忘れましたというか、ここで書いておきますが数年以上前にテレビ番組で見た内容なのでもしかしたら間違っているかもしれません、てかソースななしです。)


 親にぴったり寄り添ってもらって育てられるべき期間。
 たとえば生まれてから数ヶ月、目を使えないと一生見ることが出来ない、というのは有名な例ですが、生まれてから数年間、親と赤ちゃん言葉による接触やスキンシップ、食事の供給など、これらをすぐに受けられなくなってしまった結果がこの育てられた子たちだった。
 いわゆる通常人から見たら脳障害のある子でしかないし、喜びやら悲しみなどの感情が希薄になり、理解障害に関しては、文字を覚えたり本を読む、計算をするという基本作業は出来るみたいなのですが、その後、内容を理解したりする部分でまったく進歩がないという状態が生まれたりする、ということなのです。


 てか、そんな事例よくわからん、という人はいるでしょうが、残念ながら小学生の頭の悪い子を見ていると、どういうものかよくわかってしまったりします。


 「256の2倍」ときいて「300」と答える。


 その子は計算能力は人並みにあります。だからこの程度の計算を暗算でこなすことは可能なのですが、「計算は面倒くさいので」適当に答える。結果普通の感覚では出ようがない数字が飛び出してきます。
 『違う』というと


「ちがった、5だ」
『違う』
「3」
『違うって』
「じゃあ、わからーん」


 これ、自分がその子に教えているときによく出てくる会話の一例です。
 ここで間違ってほしくないのは、彼はふざけていないといいこと。おそらく学校ではコレと同じことをやると周りがドッと受けたりするんでしょうが、少なくともねらってやっていません。
 適当に答えている以外は「まじめに答えようと思って」この答えを導き出しています。


 より細かく分析すると、「6の2倍」や「7の8倍」などは「覚えている」から答えを即答できることも多いのですが、「10の3倍」で正しい答えを言う確率は50%、「12の3倍」なら60%程度の正答率(むしろこの数の方が正答率が高くなる)、しかし上記256だと「計算するのが面倒くさくなり」適当に答えるモードが発動、「適当」という言葉には多分に「正解ではないけれどそれに見合ったものを選ぶ」という概念が必要なのですが、256の2倍を300と答える背景には、だいたいの感覚が全く付いていないことを如実に表してくれますし、その後の問答に至っては「鳥頭」以外の言葉が出ません。


 とはいえこういう「適当さの不適当さ」と理解能力以外は普通の子どもなので例の脳障害までは行かないとは思っているのですが、現在の教育の現状は結構怖いモノがあると自分は思っています。(少なくとも特殊な例だとは思わないですね自分は)


 話が飛んでしまいましたが、元々の話は中学生の話。
 自分が例に出したチャウシェスクの子どもに比べれば、中学時代の不勉強なんて言うのは影響が少ない誤差範囲であるとは思いますが、それでも、単語を覚えるだの簡単な計算を間違えないだの基本中の基本が出来ずにこのまま成長していってしまった子ってかわいそうでならないですね。