さっさとまず翻訳しておこう忘れてしまう。

  • いきなり難しいことやっても敷居が高いのだけど、とにかくわかりにくいことを承知で確信犯的に文章を作ってみようかと思います。


 いきなり難しいことやっても「面目なくてその人の家に行きにくい」のだけど、とにかく分かりにくいことを承知で「宗教的・政治的義務に則って実行する」的な文章を作っていこうと思います。


 敷居が高い→ハードルが高い=乗り越える困難が高い的な使い方をしてみました。
 油断すると自分も使ってたりするのでダメダメです。
 「確信犯」は文字通りだと上記の意味になりますが「確信犯的」=「わざと、故意に」というニュアンスで使ってしまう場合があるようです。
 「確信犯」単独での誤用は「悪いと分かってて実行する犯人」辺りでしょうか。

  • 破天荒な性格の主人公が、相手の弱みに付け込むような姑息な技を使うと失笑することもあるけれど、陳腐なセリフを吐いてもまたなおざりな印象を与えてしまう。


 「前人未到を達成した」ような性格の主人公が、相手の弱みに付け込むような「その場しのぎ」な技を使うと「思わず噴き出して笑ってしまう」こともあるけれど、「ありふれて平凡な」セリフを吐いてもまた「いいかげんで放置」な感じを与えてしまう。
 「破天荒」は「豪快」ととらえがち。俺違和感ないからヤバい要注意。
 「姑息」姑が息してるのが卑怯!じゃなくて「姑(しばらく)息(休息)」だそうだ。字面でやられるね…それでも卑怯はひでえ気もするが、使ってるの聞いて解釈間違えたんだろうね。
 「失笑」は誤用として「笑いを失うぐらいあきれる」と解釈するのだそうだ。なるほどこれは間違えない。
 「陳腐」は「つまらない」感激しいが、そうではなく「ありふれた平凡さ」。「使い古された」と思ってました(恥
 「なおざり」ここでは「いい加減」の意味で使ったつもりですがその訳的には実は間違っていないんですが、「ほったらかし」感が強い単語だとか。「いい加減」は「いい加減」だけどニュアンス的には「おざなり」を使うと命中するらしい。

  • そりゃ主人公が鳥肌が立つようなかっこいいセリフを吐くのが一番だと思うけど、宿敵に対し憮然としてにらんでいる姿もまた絵になるものです。剣なんかを持っているならそのあとやおら切りかかるなんていうシーンはかっこいいですね。

 そりゃ「身の毛のよだつほど恐ろしく」かっこいいセリフを吐くのが一番だと思うけど、宿敵に対して「落胆してぼんやりと」にらんでいる姿もまた絵になるものです。剣なんか持っているならそのあと「ゆっくりと」切りかかるなんてシーンはかっこいいですね。
 「鳥肌が立つ」のは基本「恐怖」を連想させるべきだそうで。まあ「鳥肌」単独で独り歩きしているのでもう問題ないのかもしれません。
 「憮然」とは「怒って押し黙っている様子」に使ってしまいがちですが基本は「失望、落胆からぼんやりしている」感じ。怒っているは「憤然」かなぁ。この場合黙ってなさそう…
 「やおら」は「いきなり」ととらえがちですが、「ゆっくり」。
 ついでに「なまら」は北海道弁の「非常に」「凄く」…「凄く」って「恐ろしいほど」って意味だからいい意味の強調には使っちゃあかんと言われたこともありますが、もはやそういうことは考えないのだとか。
 

  • で大概はハッピーエンドでけりがつく話も多いけど、エンディングにおける登場人物たちの悲喜こもごもな姿もまた感慨深い。


 で大概はハッピーエンドで「困難が終了した」話も多いけど、エンディングにおける登場人物たちの「人に喜びや悲しみが交互に訪れるよう」な姿もまた感慨深い。
 「けりがつく」は、物事の顛末として古語助動詞「けり」を半ば強引につけるニュアンスがあるようで良い内容には合わない使い方であるそうです。「悲喜こもごも」は一人の人の感情変化を表す言葉で、文章では喜んでいる人悲しんでいる人が各いると言うニュアンスで使ってやったつもりです。
 

  • 前に喧嘩したりした気が置けない知り合いがいると妙に落ち着かないね。そんな彼が助けを必要とする時になんとなくおっとり刀で駆けつけてしまうのはよくある話である。

 前に喧嘩したりした「気を使う必要のない」知り合いがいると妙に落ち着かないね。
 そんな彼が助けを必要とするときになんとなく「急いで」駆けつけてしまうのはよくある話である。

 「気が置けない」は「おけない」という不可能の単語から「油断できない」とかそんな意味で使いがち。
 「おっとり刀」は「おっとり」の語感から「ゆっくり」を彷彿とさせるようですが、「刀を腰に差す暇もなく、手に持ったまま」急いで駆け付ける様を言う用語となります。

  • あるいは、しめやかに行われる婚儀の席で、世間ずれしている自分などは何をやったらいいか分からないので、他の人のやり方を須らく真似をするものだから妙な顔をされたり、はたまた後で自分で気がついて一人爆笑したりすることもある。

 あるいは「しんみりともの悲しげ」に行われる婚儀の席で、「世間に詳しくなった」自分などは何をやったらいいかわからないので、他人のやり方を「当然そうであるとして」真似をするものだから妙な顔をされたり、はたまた後で自分が気がついて一人「みんなで大笑い」したりすることもある。


 「しめやか」は「もの静かなさま」を基本的には表しますが、「寂しい」とか「悲しい」感情が含まれるのだとか。
 「世間ずれ」は語感から「世間とずれている」感じがしますが「世間に擦れている」=「世間に慣れてずる賢くなっている」と言う感じなのだそうだ。
 「須らく」は俺の愛読対象の「苦笑」連打の作家が間違えていたのが記憶に新しいが「全て」という意味合いで使ってしまうのだとか。
 「須く」の方が送り仮名好きなんだけど、多分こっちが正解だよね。
 「爆笑」は「大笑い」の意味ではなく「大勢の人がどっと笑うこと」の意味。ええ昔は全然知らず間違えてたくさん使っていましたともさ。
 でも最近は「大笑い」の意味で「バクワラ」とかお前どこの「クワバラ」のような書き方、言い方もするのでかなりややこしいことになっている模様。え?1年後には死語になってる?

  • やる気のない人たちに激を飛ばしてみるが、なかなかうまくいかない。


 やる気のない人に「自分の考えを広く人々に知らせ同意を求め」てみたが、なかなかうまくいかない。
 

 ああ、やや意味が通る文になったかな。「激励」の意味では使わないって話。
 自分は「檄」って「戟」だと思ってて槍でも飛ばしてんのかと思ってたと言う話が汗
 「檄」は「召集または説諭のための文書」とか「世人に同意を求める文書」の意味で「檄文」なんて単語もありますな。
 言い換えは「激励する」でもいいし「活を入れる」あたり。「喝を入れる」は間違い。「一喝」=「大声でしかりつける」じゃないと。
 シチューにカツを入れるといったって豚肉とは限らないんだからね。(死中に活を求める)

  • 最近の曲はお試しで聞いてよく聞こえるように作っているから後の方ではなく前の方のさわりの部分にインパクトのあるサビを持ってくる曲が多いと聞くがどうだろう。


 「さわり」は「サビ」とほぼ同義語で「聞かせどころ」「曲中最も盛り上がる部分」。
 「さわり」を「最初の方」と言う意味で受け取っちゃうし使っちゃうので「さわり」と「サビ」が区別されてる面もあるのだが…よくわからぬ。

  • 幽霊の話なんかきいてもぞっとしないが、昆虫の話は気色悪いね。


 「ぞっとしない」は「ぞっとする」の否定ではなくて「特に驚いたり感心したりするほどではない」と言う意味。
 「ぞっと」は辞書によると「恐ろしさ、強い感動、寒さなどで体が震えあがる、体内を駆け抜ける」感じの意味で「する」をつけるとそのままの意味になるが、「しない」をつけると特に「恐ろしい」と言う意味が抜け落ちるようです。

  • 「悪の十字架」の話ではないが、目的地の10時開店の店に9時半には着いてしまって半時も待たなければならないと思っていたんだけど、すぐに他の二人も来てくれたので、他の場所で3人でする対談の収録も繰り上げて始めることができた。


 「半時」が子丑寅卯…の2時間基準の半分なので1時間…、「対談」は二人、三人は「鼎談」…
 自分で言うのもなんですが、いろいろ間違った使い方の単語を一文の中で使えるだけ使う文を作ることことをそろそろあきらめている感じがありますね…汗

  • なんでも最近は大学3年生で就職活動を始める前に、つてを使って企業が青田刈りをしたりもするという話だけどホントですかね。


 「青田刈り」は「稲をまた熟さないうちに刈ること」つまり、ロシアの焦土作戦みたいな奴の田んぼバージョンみたいなところがある。
 「青田買い」が「収穫前に(見積もって)米を買う」ひいては「新人採用試験期間よりも前に採用をすること」となる。
 ちなみにズームイン朝を毎日見ていたせいで未だに青田というと青田昇の顔が浮かぶレベル。

  • ということでまあ使える単語も使いきってそろそろ煮詰ってきた。


 「煮詰る」は「議論などが進み結論が近づく」感じ。しかし「詰まる」→「止まる」のニュアンスが入って「これ以上どうしようもない」という風に受け取られるらしい。

  • そろそろギブアップ、すいません、潮時ですね。

「すいません」→「すみません」。
「潮時」は「終わりの時、終わるのにちょうどいい時」ともう普通に使う言葉ですが「漁をするのに一番いい時」→「一番いいタイミング」というのがより正しいらしい。


 There is a tide in the affairs of men.
〜ひとのすることには潮時がある(シェイクスピア
http://www.kotobano.jp/archives/1015より)


 a tideが「潮」で何で可算名詞か理解できていないのが悲しいのはともかく、語源にシェイクスピアかよ!と驚くに至る。


 でも「潮時」ってもうその間違った意味でしか使わないよね…






以上終了。フォントをもう少し触ったりもできるが疲れた…
あ、そうそう「捜し」→「探し」の方が良し。
なお参考文献は
http://www.h3.dion.ne.jp/~urutora/imi.htm
を筆頭に様々なページ。

しかしやってみて分かったが、やっぱ正しい使い方ばっかりすべきですよ。
上記の中には間違ってはいるけれど受け取る側が間違った解釈の方が分かりやすい言葉もある(例:潮時)のだけど、「間違ったレイブン」てのは結構心的負担が大きかった。
そのまま間違えて使ってしまいそうなレーベル。