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三浦八段がコンピュータに負けたことによる余波が気になるところだとおもいますが、それにしてもいろいろ考えさせられた。
A級でトッププロがぼろ負けした。
所感ですがコンピュータの詰みへのスナイパーぶりと回避ぶりが恐ろしく「トッププロでも」切り合いには行くことができなかったということではなかったかと思っています。
つまり、影におびえて手が伸びていなかったように見えるというか。
まあそれ自体、つまりプロがコンピュータに負けることはついに来たという感じなのだけど、そのソフトを作っている人たちに疑問が入ってしまった。
所感としてですが、この出来事は将棋はアナクロな人間による評価以上に最新のデジタルな評価によってのほうが正確に判定できる時代が来たということである。
これは、アナクロなアナログ思考の判断の方が正しいと言えるものが一つ崩され、コンピュータの判断の方が正しいといえるものが増えたということでもある。
これは今後も続くはずなのだが、
研究者の中に「プロ側が、将棋のルールでよりコンピュータの弱い部分を突くこと」を「卑怯だ」とか「つまらない」という騎士道ならぬ棋士道を求めていた人もいたのに驚かされたのです。
でも話によるとその穴はずっと昔から分かっている弱点であって、これまで対策できていなかった部分なのだそうだ。であるならば、その弱点を克服するようなものを作ることを考えてほしいのであったが、この話はその方向ではなく、正々堂々とプロ側がやらなかったから不本意な結果になったという話なのである。
不本意な結果、つまり勝てなかったというのである。そして勝てなかったことに対し愚痴をこぼしたというわけである。
弱点を突かれたからか知らないが、ルールを変えろとさえ言っている。
コンピュータプログラミングしやすいルールに変えることは容易だけど、プログラムを作る側はそういう研究をするのが面倒だと思っていることに凄くがっかりした。
この人がただ自分のソフトがプロに対して将棋で勝ちたかっただけだったと見えてしまった。
もちろんそれ自体は否定はしにくい功名心とか等が混ざったものだと思うけど、とにかくがっかりした。
自分はこういう研究者という人間を過大評価していたのかもしれない。