思い出した

 いやあ、少し前から書きたい書きたいと思っていた話をやっとパソコンの前で思い出した。
 子どもたちの前では何度もしている話なのに。


 僕が将棋の棋士を尊敬する理由はいろいろあります。
 もちろん将棋がそこそこさせることがまず第一なのでしょう。そうじゃなければ将棋世界誌を買うことはほとんどなかったでしょうし、棋士の話を詳しく読むことはなかったでしょうから。
 そして自分が頭脳労働系の職業であることも関係があると思う。必然的に子供の成長を見守ることになりますから、そうするとどういう子が賢いのか、どういう行動が聡い子への成長を促すのかというのは興味がわき、その中でも頭脳という点では棋士というのは一つの頂点であり、まあ我々から見たら天才ばっかりなわけですからその話というのは興味がわかないわけはありません。
 ゲーム大好きであることもある。テトリスぷよぷよ…いろんなゲームをプレイしていますがある程度までは上達できるけどその上までには行けない自分の限界を感じてしまう。
 そのなかでF−ZERO(SFC)は馬鹿みたいに鍛えたゲームの一つで、マイコンベーシックマガジン(略称ベーマガ)で「1分59秒への道」という特集を読んで、MUTECITYのステージで1分59秒を出すことを執念を燃やし、スタートだけで数限りない練習、あらゆるカーブでの最善曲線の追求、LRと十字ボタンの組み合わせでどのタイミングで最速のコーナーリングとなるかの練習など、それこそ四六時中繰り返した。その結果、この高み1分59秒に初めて達した達成感、およびその時に起きた自分のこのゲームへの理解への驚嘆・・・、MUTECITYしか走っていなかったのに他のコースが全部1度走るだけでコースを暗記できて、さしあたっての最善のコースを編み出してしまう慣れるってこういうことなんだという実感をまざまざと見せつけてくれた。思えば車の運転というのはこういうものなんだと思い知らされたわけだが、「慣れる」というのが如何に重要かを教えてくれた。
 

 あいかわらず脱線するわけだが気にせずに本題に行く。


 尊敬する理由、そのなかでも大きなものはかつて見た番組に関係がある。
 将棋棋士のNHKの番組、多分「羽生対佐藤」の将棋の特集だったと思うが、そのなかで「棋士は考え中によく欠伸をする」という話が出てきた。
 別に眠くて欠伸をするわけじゃない、考えすぎて頭の中が熱くなって空気が膨張し欠伸につながるのだ、的な解説があったのだけど、実はこれ、僕は覚えている限り一度だけそういう体験があったのだ。
 その一度、受験とかそういう人生をかけたものではなく、数学を生業とする者として数学の検定を受けた時なのだけど、持ち時間は2時間のものを1時間で解き切ったのだけど(検定はかなり時間に余裕があるのでこれでも遅いかもしれない)、その時に頭がフル回転し顔の中が発熱するような感じで欠伸がでたのだ。
 決して眠くはない。ただ空気を吐き出すために欠伸が出る、その経験を始めてして、そしてこのNHKの番組の話を思い出して「おお本当だ!」とびっくりもしたのだけれど、その後どれだけ真剣に考えてもこの「知恵熱欠伸」を出せないのだ。
 他方で、プロ棋士ってのはその「知恵熱欠伸」をいつもではないと思うが重要な対戦ではたいていはしているわけでそう考えた時、自分がどうしてアマチュアなのか、何に対しても経験者レベルにしか達せないのかつくづく思い知らされたのだ。


 圧倒的な集中力、集中しろと自分で念じてもその高みには決して到達できない点を焦がすような集中・・・自分に足りないものはこれだった。
 そしてプロ棋士が如何にすごい資質を持っているのかを実感すれば尊敬せずにはいられないだろう。


 たまたまこれは将棋の棋士相手だったともいえるかもしれない。囲碁棋士だってそうだろうね。今テレビでやっているオリンピックフィギュアスケートの選手、プロ野球の選手だって身体的な差なんていうのは鍛えたからこそ生まれる一般人との差だろう。集中力が大切なんて、もう何十年も前からの熱血漫画にさえ題材として扱われていた当たり前のものじゃないか。
 でもまざまざと自分の不出来さとプロのすごさを実感できるってのは貴重な体験だった。


 これからもいざとなったら集中し、こんな知恵熱欠伸を出るほど必死に頭を働かす機会を自分は作りたいね。